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協会コラム

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2020-06-12

計画の背景と建設

明治政府は、北方開拓のため1869(明治2)年に開拓使を設け、北海道の開拓を本格的に開始しました。当初は、旅行者の宿泊施設として本陣、脇本陣、本庁分局などの施設をあてていましたが、新たな宿泊施設の必要性が高まり、豊平館が設置されることになります。敷地を現在の札幌市中央区北1条西1丁目(現札幌市民ホール所在地)に定めて1879(明治12)年春に着手され、翌1880(明治13)年11月に本館工事が完成しました。豊平館の名前は、工事入札の直後に決まったものらしく、1879(明治12)年1月頃から登場しています。その後、附属施設、周囲の鉄冊や門などの外構、庭園の工事が行われ、1881(明治14)年8月にすべてが完成しました。

建築中の豊平館 北海道大学附属図書館所蔵

開館と明治期の様子

完成直後の1881(明治14)年8月30日から9月2日にかけて、豊平館は明治天皇の北海道行幸の札幌の行在所にあてられ、華々しいスタートをきります。開館から2ヶ月後の1881(明治14)年11月6日、開拓使は民間に建物の無償貸し付けを行い、旅館と西洋料理店が営まれました。1882(明治15)年2月、開拓使が廃止となり、豊平館は札幌県の管理に移りますが、ほどなく宮内省の管理となります。さらに1890(明治23)年に御料局札幌支庁が設置されるとこの管理となるなど、建物の所属は変わりましたが、北の都を代表するホテルや宴会場としての役割を担っていました。1899(明治32)年10月、北海道区制が敷かれると地方自治の発足とともに、区長による豊平館の利用が行われるようになり、これが公民館機能の始まりとなりました。

竣功した豊平館 札幌市公文書館所蔵

大正期の様子

大正時代に入ると、札幌は大都市としての基盤が着実に形成されていきました。1918(大正7)年には、中島公園や札幌駅前通などを会場に、開道五十年記念北海道博覧会が開催され、札幌はかつてない賑わいをみせます。こうした活発な動きの中で、豊平館は収容力の少なさを指摘されはじめ、新たな公会堂設立の機運が高まっていきます。
1922(大正11)年、札幌に市制が施行され、同年12月、豊平館は札幌市の所有となります。そして、かねてから動きのあった公会堂新設の計画が急速に具体化することとなります。

豊平館(1918年) 札幌市公文書館所蔵

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